追憶

父が雑記帳に記していることを娘のワタシが転記していこうと思います

2019-01-01から1年間の記事一覧

親父の闘病3

宿泊看護のある晩 病院の長椅子でうとうとしていると 親父が『歯を入れてくれ』とか『足を揉んでくれ』と 執拗に甘えてくる あとで後悔のないように懸命になって揉み続けた 親父は黙っている 翌日姉が行くと 「昨日は薫が本気になって足を揉んでくれたので今…

親父の闘病2

同じ病院に入院していた叔母と会い 姉弟にしか解からない空気の中親父は泣いていた 子どもの頃でも思い出していたのだろうか? 子供の頃と言えば親父にとっては大御馳走だったに違いない 「ぼたもちを作ってきてくれ」と言い 美味そうに喰っていたと後日聞か…

親父の闘病

昭和天皇が崩御され 時代は昭和から平成に変わる狭間 80歳を目前にして親父は登戸病院に入院する 病名は直腸癌 肛門を閉じて横腹に人口肛門を開ける 手術が完了し数日後お見舞いに行く 苦しんでいるときに行くのは嫌だったので 少し間を置く 面会すると親父…

男の顔は履歴書

晩年の親父は 川崎北部建築組合で講師として数回 若い受講生に技術指導したことがある また、地域の小学校では藁細工の実技指導をすることもあったようだ 百合丘駅前で親父に会う 「今日は何の集まり」 「うん、これからゲートボールの大会があるんだよ」 と…

晩年の親父

親父が一度だけ経堂の店に訪れたことがある 一泊して子供たちと公園で遊び安心して帰る 経堂の店も漸く軌道に乗ってきて夢中で働く お蔭で慰労会や旅行にも親父を呼んで親孝行の真似事が出来るようになる 親父はこの頃、農協の団体旅行、老人会の旅行と あち…

母危篤

昭和46年7月 おふくろ危篤の連絡が入る タクシーで経堂から溝の口までを急ぐ 病院に到着し病室に入った時には意識が薄れ 苦しそうに喘いでいる 「薫には知らせるな、商売が軌道に乗ってきたとこだから」 と言っていたらしい こんな苦しい思いをしているのに…

アポロ11号

親父は50歳代の頃から現場から遠ざかり 兄貴にすべてを任せていた。 余生を楽しむのにはちょっと早すぎる頃、縁側で孫のお守りをしたりして のんびりとしていた。 よくおふくろが、 「今からそんな年寄り臭いことでどうすんのよ」 と言っていたらしい。 ちょ…

神楽坂

東京オリンピックが開催され、東海道新幹線開通 ジェシー(高見山)が角界入りする。 昭和39年24歳の頃、新宿の神楽坂に喫茶店を営業したいとおふくろに話す。 おふくろは親父の機嫌の良い時を見計らって話したと思うが 親父は生田農協に行って資金を都合し…

魔がさしたおとっちゃん

泥だらけになって働く農業が嫌で嫌で 早く親父や兄貴のようにさっぱりとした格好で大工になりたいと思っていた。 漸く念願が叶い大工になったものの、 大工を続けるか辞めようか随分悩んだ時期がある。 そんな頃親父が浮気をする。 ある日の夕方親父が家を出…

おとっちゃんの幻の鉋

おとっちゃんの鉋は黒樫の台で、実に良く切れる この鉋一丁で父親として尊敬に値する代物である 大所帯の家族を支えた鉋。親父の子供で良かったと思わせるものである。 ある日、村でも指折りの豪農の家を改築することになる 17.8歳の頃見習いとして僅かな道…

親父が棟梁としても職人としても油の乗り切った40歳代後半の頃 登戸のある工場の増改築に叔父と兄貴、弟子の親子と6人で手掛ける。 何もわからない自分に親父は 「板に墨打って寸法通りに切れ」 という。 墨壺の使い方も分からないのにどうしようかな 曲尺で…

親父の兵隊時代の愚痴は聞いたことがなく、逆に良い思いをしたようだ。 班長に可愛がられて恵まれていたと言っていた。 軍隊での電線工事の時なども, 何の技術のない兵隊は重い電線を担ぎ運ぶ時でも 大工の親父は電柱に腕木を打ち付けるだけでよかったらしい…

親父が大工仕事に行く時は、さっぱりとした格好で 野良仕事のおとっちゃんとは別人に見える。 何時も自転車で現場に向かう。 夕方帰ってくると、土間のかまどの側に自転車を入れ家族で夕飯を食べる。 晩酌もせず、あまり余計なことは喋らない。 おふくろは子…

★終戦後 漸くおとっちゃんが兵隊から帰ってくるが大工仕事が待っている。 当然農作業は年老いたおばあちゃんとかあちゃんの肩にどっしりと掛かってくる。 相変わらず生活は一向に楽にならないようだ 農閑期の冬 かあちゃんは山の薪運びをする。 男衆が木を伐…

桃泥棒

今だから白状するがあれは計画的犯行であった。 長沢の同級生6~7人でカバンの中身の教科書、筆記用具を学校の机の中に全部置いて、 カバンを空にして行った。 桃がカバンのなかいっぱいになった頃、農家のおじさんが物凄い形相で追いかけてくる。 一人が捕…

中学生の頃 午後、雨が降ってきたと皆騒いでいる。 自分は傘を持ってきていないのでどうしようかと教室の外から外を見る。 すると唐傘を数本抱えて教室の方に向かって歩いてくる人がいる。直感的に(親父だ)と思った。 細身でニッカーズボンにジャンパー姿…

大船撮影所

親父が調布の大映撮影所に勤めていた頃、何を思ったのか俺を自転車の後に乗せて その撮影所に連れて行ってくれたことがある。 当時読売ランドはなかったが、確か細山の坂を上り、矢の口方面に出て調布に向かったと思う。 多摩川の景色だけ薄っすらと覚えてい…

大工の親父

長沢の中心地には集会場があり、精米所、駄菓子屋、寄せ場、火の見やぐらなどがある。 その真ん中を流れる小川があり、近隣の人が野菜を洗って市場に出荷する。 また、田圃に水を引く川だ。 その川の堰を整備するのを親父は頼まれる。 木枠を作り、コンクリ…

次男坊

親父と、次男である自分はあまり喋ったことはなく、長男ばかりを可愛がるように思えた。 また弟もよく可愛がった。 雪の降る日、弟が小学校から帰ると洗面器にお湯を入れ、かじかんだ弟の手を 「この中につっこんでろ」と言って温めていた。 弟が風邪で寝込…

畑仕事

ある日、鍋ころがしの畑で、親父と兄貴と三人で麦刈りをしていた時に 突然バラバラと音をたてて落ちてくるものがあった。なんと散弾銃の流れ弾だ。 親父は「あぶねえな!」と辺りを見回すが誰も居ない。親父は怒るに怒れない。 「鉄砲打ちだんべ、まったくしょ…

親父

地震、雷、家事、親父と言うが、 自分にとっては親父がとても恐い存在であった。 子供の頃から親父の目をまともに見て話をすることはあまりなかったように思う。 40歳代後半まで細身で髭が濃く、歯並びがよく、笑うと真っ白い歯が眩しいようだったが・・・ 家族…