追憶

父が雑記帳に記していることを娘のワタシが転記していこうと思います

次男坊

親父と、次男である自分はあまり喋ったことはなく、長男ばかりを可愛がるように思えた。

また弟もよく可愛がった。

雪の降る日、弟が小学校から帰ると洗面器にお湯を入れ、かじかんだ弟の手を

「この中につっこんでろ」と言って温めていた。

弟が風邪で寝込むと「大丈夫か?何か喰いてえものがあれば言え」

弟が「みかんが喰いてぇ」と言う。すると親父は

「薫、日吉のさんの屋へ行ってみかん買ってこい」と言う。

仕方なく夕暮れ時、日吉までの暗い道を、みかんを買いに走る。

何で俺だけこんな思いをしなきゃいけねえんだと思う。

そんな不満な俺をおふくろは見逃すはずがない。

「おめえが生まれて何年かは仕事から帰ってくると、おとっちゃんはおめえを抱き上げ、

あやして可愛がっていたんだよ」と慰めてくれる。

「親の心子知らず」とはこのことか。

 

*昭和20年代、日吉のこの道は近隣の農家の人達がお施餓鬼などで王禅寺に行くとき、

また琴平神社に参拝するときに歩いて通る。

特に麻生不動のだるま市のある1月下旬には着飾った人たちで賑わう。

長沢から日吉に抜ける道は切通しになっていて、兵隊さんが防空壕をいくつも掘った。

子供の頃、薄暗く長―い防空壕に恐々と入り遊んだことがある。

日吉の山には当時野うさぎが沢山いた。また山ぶどうやへびいちごが沢山あったのを思い出す。