追憶

父が雑記帳に記していることを娘のワタシが転記していこうと思います

大船撮影所

 親父が調布の大映撮影所に勤めていた頃、何を思ったのか俺を自転車の後に乗せて

その撮影所に連れて行ってくれたことがある。

 当時読売ランドはなかったが、確か細山の坂を上り、矢の口方面に出て調布に向かったと思う。

多摩川の景色だけ薄っすらと覚えているが他は忘れた。

 撮影所に到着すると、大道具の現場に連れて行かれ、現場では親父の仲間が

削りものに懸命になっている以外は何も覚えていない。

 過日、お婆ちゃんと妹の末子が田端義男ショーに招待される。

 昼食の弁当で末子が食中毒にかかってしまった。

 食中毒は別として、御婆ちゃんは喜んで田端義男が「オース」と言って俺に手をあげてくれたとか

「もう一丁」といって次から次へと歌ってサービスしてくれたと笑顔で話す。

 当時は息子が大工でなければこんな良い思いは出来なかったに違いない、と思ったことだろう。

 それにしても自転車での調布までの往復、親父と一言も交わすことはなかった。

 どこの父子もこんなもんだろうな。