追憶

父が雑記帳に記していることを娘のワタシが転記していこうと思います

ラジオ

お婆ちゃんの楽しみは唯一のラジオである

夜寝床で横になり広沢虎造浪花節を聞くのが

楽しみだったようだ

 

目を閉じているのでたまに

歌謡番組に切り替えてしまう

すると口癖のように

「うーん寝るのが一等ご馳走だ…」

とつぶやき

肛門のような口でプープーと吸ったり吐いたり

呼吸しながら眠りにつく

 

当時は徳川夢生や長崎ばってん

古川ロッパアチャコなどが人気者だった

 

雪村いづみのコマーシャルで

グンゼのナイロン靴下は~

今でも耳に残っている

饅頭

ある日お婆ちゃんは近所の家で

お茶菓子として出された饅頭をもらい

 

自分では食べずに持ち帰って

病床のおふくろに

「子供たちに内緒で早く喰っちめえ」

と渡したそうだ

 

嬉しく有難く布団を被り泣きながら

饅頭を喰ったとおふくろから聞かされた

 

饅頭の美味しさは無論のこと

お婆ちゃんの気持ちが

どんなにか嬉しかったことだろう

 

甘いものが貴重で砂糖も配給の頃だと思う

孫達がご飯に砂糖をかけて食べた頃の話である

おばあちゃんの思い出

春と秋の学校行事に

お婆ちゃんが身体の弱い母親の代わりで参加する

 

自分も小学校の運動会で一緒に弁当を喰った思い出がある

また雨の日学校まで傘を持って来てくれたこともある

 

お婆ちゃんはお茶と煙草が大好きである

近所のおばあさんがくると

日当たりの良い縁側で

二人でお茶を飲み煙草を吸っていた

 

肥満のお婆ちゃんは夏はいつも上半身裸で

肩にぬれタオルを掛けていた

警察官がたまに村を自転車で廻ってくる

 

お婆ちゃんは慌てて

そばにあるものを羽織るが

警察官が通り過ぎるとまた裸になり堂々としている

田舎ならではの格好で今では逮捕されるかも

 

お婆ちゃんは冬場になると

土間で藁仕事を毎日のようにしていた

 草履も草鞋も名人級である

 

軽くて履きやすく長持ちする

またボロ布を使い見栄えもよかった

 

祭りの日は草履を作ってもらい毎年履いていた

一朝一夕では出来ない業物であった

炊事(おさんどん)

 

おふくろが身体が弱かったので

炊事はお婆ちゃんと姉が賄っていた

代用食としてよく冷や麦を喰わされたっけ

 

自家製で小麦粉を捏ね

座敷の上がり框のところで

手動の製麺機にかけていたのを思いだす

 

かつおぶしを削り大鍋でつゆを作る

具は長ネギと油揚げが入っている

 

あんちゃんと自分は

「またそばかよ~」

といっておふくろを困らせた

 

お婆ちゃんは食べ物を決して粗末にしなかった

カビの生えた餅を削って食べ饐えた飯を水で洗い

家族全員が食わされる 

喰わないと温い飯はくれない

 

お婆ちゃんの好物はもち入りのおじやで

3杯も4杯も食べる

夏場は自家製の梅干しを宝物のように干していた

冬場には白菜や大根を大きな樽に漬けこむ

農家では御新香は必要不可欠である

 

夏休み

お婆ちゃんと保子と一緒に畑の草むしりをして

手足が泥で真っ黒になる

昼になり帰ると

お婆ちゃんは急いで昼飯の支度にかかる

 

きゅうりを塩でもみ酢を入れきゅうりもみを作るのだが

作り終わるとお婆ちゃんの手が酢できれいになっている

それから暫くきゅうりもみは喰わなかった

 

ホーロクで焼くべったら焼きやあられもよく喰った

葛湯や蕎麦掻きの味は忘れかけている

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親より先に

お婆ちゃんは確か8人の子持ちで

3人の子が兵隊に取られ親より先に旅立った

 

ある夏の夜 伝報が配達される

三軒茶屋の叔母タケが亡くなったのだ

「親不孝もんが…親より先に逝くなんて」

と言って蚊帳の中で身を捩って泣いていた

 

長尾に嫁いだ長女の子供が(菊代)

ニューヨークに嫁ぐ日は

とても寂しそうにしていたらしい

祖父と暮らした家

祖父が川崎市生田に当時としてはとても洒落た家を新築する

便所や風呂場の格子窓は素敵で

近所ではあまり見かけなかったように思う

 

また、障子の腰板も黒柿の一枚板で

とても高価なものだったらしい

 

村では硝子窓のある部屋などなかったが

我が家では硝子窓のある部屋があり

硝子によくいたずら書きをした

 

子供の頃の思い出が沢山染みついたこの家も

昭和38~39年頃に解体する

 

家の間取りや庭の配置も隅々まで覚えている

 

おばあちゃん

母方の祖母

 

横浜市緑区川和町 貧しい農家に生まれる

お爺さんとの結婚に至る経緯は

孫の自分には皆目わからない

また、当時のことを知っている人は

もうこの世に誰もいない

 

聞いた話では菊五郎爺さんは二度目の結婚だったとのこと

 

新婚の頃は横浜に住み

菊五郎爺さんは大工の棟梁として大勢の職人を使い

日の出の勢いで活躍していたらしい

 

朝お爺さんを先頭に揃いの袢纏を着た職人が現場へ向かう時や

建前で大勢の鳶食を従えて帰ってくる姿は壮観だったと

お婆さんは当時の良き時代を懐かしそうに孫たちに話して聞かせていた

 

反面菊五郎爺さんの浮気癖には随分泣かされたらしい

 

お爺さんの話をするときはすごく嬉しそうだった

お婆ちゃんの自慢の種は

お爺さんが読み書き算盤が達者な人だったということだ

「盛源寺の影さんとうちの爺さんの外は何人もいやしねえ」

 

自分が子供の頃押し入れの中に難しい本が沢山あったように記憶している

物ごころ着いたころには既にこの世にはいなく

写真を基に書いた肖像画で顔を知る

 

お婆ちゃんにとってお爺さんの思い出は

良いことばっかりがぎっしりと詰まっていたようだ