祖父が川崎市生田に当時としてはとても洒落た家を新築する
便所や風呂場の格子窓は素敵で
近所ではあまり見かけなかったように思う
また、障子の腰板も黒柿の一枚板で
とても高価なものだったらしい
村では硝子窓のある部屋などなかったが
我が家では硝子窓のある部屋があり
硝子によくいたずら書きをした
子供の頃の思い出が沢山染みついたこの家も
昭和38~39年頃に解体する
家の間取りや庭の配置も隅々まで覚えている
母方の祖母
お爺さんとの結婚に至る経緯は
孫の自分には皆目わからない
また、当時のことを知っている人は
もうこの世に誰もいない
聞いた話では菊五郎爺さんは二度目の結婚だったとのこと
新婚の頃は横浜に住み
菊五郎爺さんは大工の棟梁として大勢の職人を使い
日の出の勢いで活躍していたらしい
朝お爺さんを先頭に揃いの袢纏を着た職人が現場へ向かう時や
建前で大勢の鳶食を従えて帰ってくる姿は壮観だったと
お婆さんは当時の良き時代を懐かしそうに孫たちに話して聞かせていた
反面菊五郎爺さんの浮気癖には随分泣かされたらしい
お爺さんの話をするときはすごく嬉しそうだった
お婆ちゃんの自慢の種は
お爺さんが読み書き算盤が達者な人だったということだ
「盛源寺の影さんとうちの爺さんの外は何人もいやしねえ」
自分が子供の頃押し入れの中に難しい本が沢山あったように記憶している
物ごころ着いたころには既にこの世にはいなく
写真を基に書いた肖像画で顔を知る
お婆ちゃんにとってお爺さんの思い出は
良いことばっかりがぎっしりと詰まっていたようだ
我が家でテレビを購入したのは昭和31年頃
村でも買ったのが早かったようだ
プロレスがあった日
近所の人が数名集まってくる
始まるまで待っている間
お茶を出してもてなす
いよいよ始まると
幻灯や映画を見る時のように
家の照明を全部消す
始まると大人たちは皆興奮し
「この毛唐」とか
「ぶっ殺せ」などと口走る
見終わるとぐったりとして
普段の顔に戻り礼を言い
皆ぞろぞろと帰る
やがて村でも競うようにしてテレビを買い求める
屋根の上にはアンテナが誇らしげに
俺の家にもあるぞと言わんばかりに
聳え立つ
昔の梲(うだつ)のようである
どこの家でもプロレスが見たくて買う人が多かった気がする
昭和34年皇太子結婚の頃は
すでにテレビがある家が多かったようだ
昭和39年東京オリンピックで開催される頃は
カラーテレビに変わる
おとっちゃんもかあちゃんも
プロレスのある日は早く夕飯を喰い
早くお風呂に入って始まるのを待っている
始まるとおとっちゃんは震えて興奮し
「あ、反則だ反則だ、手になんか隠したどチキショウ」
と興奮する
当時はプロレス中継で興奮した年寄りの死を
連日のように報じられていた
また自分も経験があるが
コマーシャルで女優の笑顔が
画面いっぱいにうつされると照れくさくなり
目をそらし下を向いてしまう
嘘のような本当のことである
やがて連続ドラマ相撲中継、歌謡番組、舞台中継など
皆テレビの前から動かなくなる
家族全員が怠け者になったようで
必要以上の昼間からのテレビ鑑賞は嫌がった
*今の女性は何時も
満たされることのない湖を胸に秘めている
10万円の指輪が手に入ると次は50万円の指輪を欲しがる
次は100万円の、ときりがない
かあちゃんの胸の中にも
女性特有の満たされない湖があったに違いないが
若い頃のかあちゃんは我慢の連続だったような気がする
スープは薄味で
具は海老、いか、豚肉、チャーシュー
筍、ピーマン、人参、白菜、ナルト、ハム、
卵、長ネギ、等々…
兄貴夫婦と買い物の帰り
兄貴はおふくろをおんぶして連れて行ったらしい
平成6年頃
自分は毎日その店の前を通った
サンプルケースの中には昔ながらの五目そばがデンと置いてあった
見るたびに胸がキュンとなる
その頃はかあちゃんが他界して22年
自分は55歳を迎える
今かあちゃんと五目そばを一緒に喰ったら
さぞかし旨かろうと思う
かあちゃんにとって
五目そばは最高のご馳走だったのかな
今は駅前拡張で店舗は移動しているので
見ることはできない
*****
インスタントラーメンが発売された頃
「薫、日吉の『さんの屋』でラーメン買ってこいよ、皆で喰うべえ」
「うん」
小銭を貰い喜んで走るようにして買いに行く
皆楽しみで首を長くして待っている
小鳥が餌を待っているように
かあちゃんがお湯を入れ蓋をし
わくわくしながら待つ
待ちきれずに何回もふたを開け中をのぞき込む
漸く出来上がり喰い始める
これがまた薬臭い
麺はまるで輪ゴムを喰っているような味である
決して美味いとは言えない
でも今までには味わったことのない珍しい味なので
子供たちは皆全部平らげる
鼻をズルズルさせながら
ある日かあちゃんが
「じゃがいもを市場に出荷するから手伝ってくれよ」
西側の物置からじゃがいもを俵に詰めて目方を量る
俵は米俵を半分にした浅い俵で
秤は棒秤なので一人では量れないのだ
かあちゃんが低い椅子に座ったままの状態で
自分は立って天秤棒を担ぐ
かあちゃんは天秤棒が水平になるまで
右手でじゃがいもを掴み
増やしたり減らしたりして調節する
2~3回繰り返すうちに
棒の先端から分銅が外れ
棒が跳ね上がり
かあちゃんのおでこをしたたか打つ
笑うに笑えず困った
かあちゃんは顔を歪め痛がっていた
秋が深まる頃の懐かしい思い出
あれから44年
あの日の庭の匂いも音も空気も
かあちゃんの姿も今なお鮮明に蘇る