追憶

父が雑記帳に記していることを娘のワタシが転記していこうと思います

親父

地震、雷、家事、親父と言うが、

自分にとっては親父がとても恐い存在であった。

子供の頃から親父の目をまともに見て話をすることはあまりなかったように思う。

40歳代後半まで細身で髭が濃く、歯並びがよく、笑うと真っ白い歯が眩しいようだったが・・・

家族の前ではあまり笑うことはなかった。

また、濃い髭をたまに剃ると「10歳は若返るね」と

おふくろがよく言っていた。

 

ある冬の日。

親父とおふくろと姉と兄と自分が土間の囲炉裏で暖をとっていた時、何があったのか突然物凄い勢いで怒り、おふくろに殴りかかる。

おふくろは木戸を開けて慌てて逃げる。

まだ若く足が丈夫な頃なので逃げ足も速かった

子供たちは吃驚する。

おふくろは寒い外から暫く家の中に入ってこなかった。

 

実はもう一度同じようなことがあった。

畑仕事をしていた所へ、原店の重ちゃんが自転車を押して通りかかる。

暫く大人三人で、何かの種蒔きの時期がいつ頃がよいか話していたようだった。

重ちゃんとお袋の意見が一致する。

親父は怒りだし、カーッとなり鍬を振り上げておふくろを追い回していた。

女房たるもの亭主に意見を合わせるのがあたりまえだろうと思ったのか

執拗に追いかけていたが、捕まえることができない。

おふくろは足が速く、子供の頃はかけっこの選手だった、と言っていたのを思い出す。

 

大工兼農業の親父は忙しく休日などはない。

たまの休みは冬場の雨の日だけである。

なぜか当時は冬場に雨が降ると、おばあちゃんが大鍋でおしるこを作っていたように思う。

また、お風呂も早い時間に沸かして入り、早寝して身体を休める。

ガスも水道も電話もテレビもない頃のことである。

但し大工仕事のある時は雨は困る。

「職人殺すに刃物はいらず雨の三日も降ればよい」

と言われるぐらい日当があてにならず困ってしまう。

 

春先から夏場にかけて、親父は農業に夢中になる。

当然のように兄と自分は手伝わされる。どこの家でも子供は貴重な労働力なのである。

朝リヤカーに肥料を積みこみ、三人で畑まで運ぶのだが、どこの畑へ行くのにも坂道が多く大変である。

坂道になると、親父も兄貴も自分も

血管が切れてしまうかもしれないほど青筋を立て、顔を歪めながら般若のような顔でリヤカーを押す。

坂道の頂上に着くとゼーゼーハーハーと精も根も尽き果てたようになる。

顔面からの汗が乾いた道路にぽたぽたと落ちる。

坂道を下る時もまた大変である。油断すればリヤカーもろとも谷底に落ちてしまうかもしれない。

命がけだ・・・

農繁期には日に三往復もしたように思う。

麦撒きの時、親父は人糞に堆肥を混ぜ肥桶の紐を首に通し、肥桶を抱え込む。

手で人糞入り肥料を畑に撒く。

初めて見た時はショックだった。糞を手掴みにするとは。

自分には絶対出来ないと思った。

 

春になると自分と妹の保子と二人で田圃を耕す。

兄貴は大工修行中なので大工に専念する。

親父が大工仕事を休み、田圃の畦塗りをするのだが万能鍬(まんのんが)で田圃の土を砕き、

どろどろにして、鍬で掬い畦道に塗りつける。

実に巧みな捌きだ。

田圃に水を張った時、水が漏れないようにする為だが、まるで巨大な羊羹のように見える。

 

夕方、重労働でへとへとになった帰り道、

鶯の声や早咲きのたんぽぽの花が慰めてくれているかのようだ。

東京銀座では小判が203枚発見されて騒いでいるころだったかな?

そうだ太陽族ブームの16歳の頃だったな。

 

また畑ではとうもろこし、西瓜などを蒔く。

親父は西瓜には特に念入りだったように思う。

西瓜を蒔いた四方に細い篠竹を折り曲げながら十文字に突き刺す。

更にパラフィン紙でテントのように囲む。日除け、虫除け、保温の為だと思うが・・・。

まるで腫れ物に触るようにして育てていた。

 

屋敷の裏にある苗床には、さつまいもの苗が今や遅しと植えつける時期を万を持している。

また、竹やぶの周りのお茶が芽を吹きだし、お茶摘みの時期を知らせ親父を焦らせる。

あ、そうお茶摘みと言えば、おふくろがこうじさらくの畑の下側にある山で、

たらの芽やさんしょの芽をよく摘んでいたっけ。

じゃがいもの植え付けの時は種芋を包丁で三つ切りか四つ切にして、

切り口に囲炉裏の灰を親父が庭でこすりつけていたのを思い出す。

 

 

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娘のKAORIです

わたしの父は昭和15年神奈川県生まれです

 

わたしが幼いころから

父は毎晩、日記やら雑記帳やら漢字の書き取りのノートやらを作っていました

その父の人生の一部と言っても過言ではないノートたちが膨大な冊数となりました

 

ノートを貸し出したりするより、手軽に親類縁者の方に読んでいただく術として

ブログの開設を思い立ちました

 

とはいえ、なかなか私自身も時間が取れず

時々の更新になると思いますが

父の思いの詰まった文章をどうぞ読んでみてください

 

KAORUの娘KAORIより