追憶

父が雑記帳に記していることを娘のワタシが転記していこうと思います

母の恩恵

笹川良一が59歳の時82歳の母親をおんぶし

長―い階段をのぼってお宮参りしている時の像がある

 

「宮のきざはし教えても

数えつくせぬ 母の恩愛」

 

と刻んである

 

おんぶする母親が生きていれば

今何歳になるのかな

見るたびに母を偲んでいる

 

写真に写っているかあちゃん

何年経っても歳をとらないように

自分の目の中頭の中では若い頃のかあちゃん

今もなお生きている

 

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繋がり

怒って座敷を躄(いざ)りながら追っかけてきたかあちゃん

結婚式で三々九度の献杯の時、吹き出して笑っていたかあちゃん

 

「おめえ、はんぺん好きだったじゃねえか」

不自由な足ではんぺんを焼いてくれたあの日のかあちゃん

 

数々の思い出を残し57歳の若さでこの世を去る

まるで忘れ物でも取りに行くかのように

 

そうか、まだ洋子を育てなければと思っていたのかな

あとから逝ったおとっちゃんと洋子と三人で

今頃何をしているのかな

 

たまに姉や妹たちに会うと

動さ、しぐさが何ともかあちゃんに似ている

深い、ふかーい根っこの部分で

かあちゃんとしっかり繋がっている

まるで臍の尾のように

テレビジョン

我が家でテレビを購入したのは昭和31年頃

村でも買ったのが早かったようだ

プロレスがあった日

近所の人が数名集まってくる

始まるまで待っている間

お茶を出してもてなす

 

いよいよ始まると

幻灯や映画を見る時のように

家の照明を全部消す

 

始まると大人たちは皆興奮し

「この毛唐」とか

「ぶっ殺せ」などと口走る

 

見終わるとぐったりとして

普段の顔に戻り礼を言い

皆ぞろぞろと帰る

 

やがて村でも競うようにしてテレビを買い求める

屋根の上にはアンテナが誇らしげに

俺の家にもあるぞと言わんばかりに

聳え立つ

昔の梲(うだつ)のようである

 

どこの家でもプロレスが見たくて買う人が多かった気がする

昭和34年皇太子結婚の頃は

すでにテレビがある家が多かったようだ

昭和39年東京オリンピックで開催される頃は

カラーテレビに変わる

 

おとっちゃんもかあちゃん

プロレスのある日は早く夕飯を喰い

早くお風呂に入って始まるのを待っている

始まるとおとっちゃんは震えて興奮し

かあちゃん

「あ、反則だ反則だ、手になんか隠したどチキショウ」

と興奮する

当時はプロレス中継で興奮した年寄りの死を

連日のように報じられていた

 

また自分も経験があるが

コマーシャルで女優の笑顔が

画面いっぱいにうつされると照れくさくなり

目をそらし下を向いてしまう

嘘のような本当のことである

 

やがて連続ドラマ相撲中継、歌謡番組、舞台中継など

皆テレビの前から動かなくなる

家族全員が怠け者になったようで

かあちゃん

必要以上の昼間からのテレビ鑑賞は嫌がった

 

*今の女性は何時も

満たされることのない湖を胸に秘めている

10万円の指輪が手に入ると次は50万円の指輪を欲しがる

次は100万円の、ときりがない

かあちゃんの胸の中にも

女性特有の満たされない湖があったに違いないが

若い頃のかあちゃんは我慢の連続だったような気がする

 

かあちゃんの好きだった五目そば

 

スープは薄味で

具は海老、いか、豚肉、チャーシュー

筍、ピーマン、人参、白菜、ナルト、ハム、

卵、長ネギ、等々…

 

兄貴夫婦と買い物の帰り

溝の口駅前の料理店に寄ったかあちゃんの話を聞いている

 

兄貴はおふくろをおんぶして連れて行ったらしい

 

平成6年頃

自分は毎日その店の前を通った

サンプルケースの中には昔ながらの五目そばがデンと置いてあった

 

見るたびに胸がキュンとなる

その頃はかあちゃんが他界して22年

自分は55歳を迎える

 

かあちゃんと五目そばを一緒に喰ったら

さぞかし旨かろうと思う

 

かあちゃんにとって

五目そばは最高のご馳走だったのかな

 

今は駅前拡張で店舗は移動しているので

見ることはできない

 

*****

 

インスタントラーメンが発売された頃

「薫、日吉の『さんの屋』でラーメン買ってこいよ、皆で喰うべえ」

「うん」

小銭を貰い喜んで走るようにして買いに行く

 

皆楽しみで首を長くして待っている

小鳥が餌を待っているように

かあちゃんがお湯を入れ蓋をし

わくわくしながら待つ

 

待ちきれずに何回もふたを開け中をのぞき込む

漸く出来上がり喰い始める

 

これがまた薬臭い

麺はまるで輪ゴムを喰っているような味である

決して美味いとは言えない

でも今までには味わったことのない珍しい味なので

子供たちは皆全部平らげる

鼻をズルズルさせながら

天秤棒

ある日かあちゃん

「じゃがいもを市場に出荷するから手伝ってくれよ」

西側の物置からじゃがいもを俵に詰めて目方を量る

 

俵は米俵を半分にした浅い俵で

秤は棒秤なので一人では量れないのだ

 

かあちゃんが低い椅子に座ったままの状態で

自分は立って天秤棒を担ぐ

かあちゃんは天秤棒が水平になるまで

右手でじゃがいもを掴み

増やしたり減らしたりして調節する

 

2~3回繰り返すうちに

棒の先端から分銅が外れ

棒が跳ね上がり

かあちゃんのおでこをしたたか打つ

笑うに笑えず困った

かあちゃんは顔を歪め痛がっていた

 

世界初の人工衛星スプートニク1号が飛び

南極観測船宗谷丸が立ち往生した昭和32年

秋が深まる頃の懐かしい思い出

 

あれから44年

あの日の庭の匂いも音も空気も

かあちゃんの姿も今なお鮮明に蘇る

 

かあちゃんリュウマチで野良仕事ができなくなり

畑にも田圃にも自分では行けなくなる

 

働けなくなっても畑の農作物が気になるらしかった

敏郎や末子にリヤカーを引かせ畑を見てまわる

ある日かあちゃん

「おめえ鍋転がしまで自転車で乗っけていけよ」

と言う

 

末子を前に乗せかあちゃんを後ろに乗せて

中古の自転車

三人乗りで鍋転がしの畑に行く

 

帰り道 かみの坂で三人分の体重が禍し

ブレーキが利かなくなる

焦って左右のブレーキを思い切り握りしめるが

ブレーキは利かず猛スピードで坂を下る

 

急カーブで後ろのかあちゃんを振り落としてしまった

お墓の側で漸く自転車が止まる

末子を残し急いで戻る

 

「おめえは人を殺す気か」

と言って怒っている

かあちゃんの顔は泥だらけで

まるで黄な粉餅のようになっている

 

ブレーキが利かなくなったことを

きっと知らなかったと思う

 

***

 

そんな頃

農作業が無理だと悟ると

かあちゃんは養鶏に夢中になる

 

土間で卵からひよこに孵すのを

徹夜で面倒を見ていた

 

いつの日か

東側の物置を片付け

網を張り鶏小屋が出来る

 

朝、鶏を小屋から出し庭で自由にさせる

夕方になると

「おめえ、鶏っこしまっちめえよ」

「うん」

両手を広げ腰を低くして

「とうとうとうとうとう」

と声を出し鶏小屋に戻す

 

たまに餌を与えたり

卵を回収したり手伝った

 

鶏が騒ぐので羽根やほこりが舞い上がる

敷き藁を取り替える時は大変である

頭が汚れるので頬被りして決死の覚悟で入る

卵を回収する時も手をつつかれるので油断できない

 

一度梁にはしごをかけて登ってみると驚いた

藁束の上には無数の卵が生みつけられていた

笊に集めてかあちゃんに知らせると

かあちゃんは喜んでいた

 

東側の物置の前に

仮の鶏舎があった時期があった

 

卵を集めたり鶏糞を集めたり手伝ったが

鶏の世話は姉や妹が専門になってしまった

 

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床屋

かあちゃん

「あんちゃんと二人で

にめえばし(二枚橋)の側の大作の床屋に行ってこい」

と言った

 

家にバリカンがあるのに何だろう

今もってわからない

 

自分には後頭部にハゲがある

 

若い頃のかあちゃんが野良仕事で疲れ果て

「囲炉裏傍で居眠りをして

囲炉裏の中におめえをおっことしちゃったんだよ、

わりいことしたなあ」

と言っていたことがある