追憶

父が雑記帳に記していることを娘のワタシが転記していこうと思います

テレビジョン

我が家でテレビを購入したのは昭和31年頃

村でも買ったのが早かったようだ

プロレスがあった日

近所の人が数名集まってくる

始まるまで待っている間

お茶を出してもてなす

 

いよいよ始まると

幻灯や映画を見る時のように

家の照明を全部消す

 

始まると大人たちは皆興奮し

「この毛唐」とか

「ぶっ殺せ」などと口走る

 

見終わるとぐったりとして

普段の顔に戻り礼を言い

皆ぞろぞろと帰る

 

やがて村でも競うようにしてテレビを買い求める

屋根の上にはアンテナが誇らしげに

俺の家にもあるぞと言わんばかりに

聳え立つ

昔の梲(うだつ)のようである

 

どこの家でもプロレスが見たくて買う人が多かった気がする

昭和34年皇太子結婚の頃は

すでにテレビがある家が多かったようだ

昭和39年東京オリンピックで開催される頃は

カラーテレビに変わる

 

おとっちゃんもかあちゃん

プロレスのある日は早く夕飯を喰い

早くお風呂に入って始まるのを待っている

始まるとおとっちゃんは震えて興奮し

かあちゃん

「あ、反則だ反則だ、手になんか隠したどチキショウ」

と興奮する

当時はプロレス中継で興奮した年寄りの死を

連日のように報じられていた

 

また自分も経験があるが

コマーシャルで女優の笑顔が

画面いっぱいにうつされると照れくさくなり

目をそらし下を向いてしまう

嘘のような本当のことである

 

やがて連続ドラマ相撲中継、歌謡番組、舞台中継など

皆テレビの前から動かなくなる

家族全員が怠け者になったようで

かあちゃん

必要以上の昼間からのテレビ鑑賞は嫌がった

 

*今の女性は何時も

満たされることのない湖を胸に秘めている

10万円の指輪が手に入ると次は50万円の指輪を欲しがる

次は100万円の、ときりがない

かあちゃんの胸の中にも

女性特有の満たされない湖があったに違いないが

若い頃のかあちゃんは我慢の連続だったような気がする