追憶

父が雑記帳に記していることを娘のワタシが転記していこうと思います

戦時中

戦時中は農家でも

食物が豊富なわけではなかった

況してや疎開で親戚の子供が沢山いたので

かあちゃんも食事時は大変だったと思う

 

空襲の予告があった日は

家中の電気を消して真っ暗にする

晩飯を薄暗い縁側で

大勢揃って喰うのだが

かあちゃん

「早く喰っちめえ」

と急かせる

 

カボチャの入った雑炊を

慌てて喰うのには熱すぎる

喰い終わったのもつかの間

サイレント共に

『空襲警報発令―』と聞こえてくる

 

かあちゃんは覚悟を決め

現金と預金通帳の入った鞄を持ち

子供たちに防空頭巾を被せ

逃げる準備をさせる

 

ねえちゃんには

「一番いいものを着ちまえ」

と言う

たしかねえちゃんは七五三の晴れ着を

着せてもらったようだった

 

おばあちゃんとねえちゃんは手を繋ぎ

かあちゃんは自分とあんちゃんと手を繋いで

一目散に下の家の島ちゃんの防空壕

向かって走る

 

後ろを振り向くと

火が背中まで追ってくる

 

空中では飛行機が数十機

花火のような火を吐いて

空中戦をくりひろげている

 

また焼夷弾が落とされ

辺りが火の海になっている

 

暫く防空豪の中で空中戦の終わるのを

じっと待つ

誰かが恐るおそる防空壕から顔を出す

 

「どうやら終わったらしいな」

帰りには遠方の上空で

まだ空中戦が終わっていない

 

上の家、脇の原、隣の家

鍛冶屋の家が燃えている

 

本当に恐ろしい夜だった

 

我が家の裏にも防空壕があり

一度だけ入ったことがある

 

真っ暗で上からは水がぽたぽたと落ちてくる

子ども心に一刻も早く出たいと思う

ロウソクが消えると

不気味に感じて嫌だった

 

翌日、塔之越の田圃

B29が墜落したのをあんちゃんたちと見に行く

銀色のジュラルミンが辺りに散乱しているのと

アメリカ兵が黒焦げになっていたのを

遠くから見る

 

昭和17年、東京初空襲の際

防毒マスクが配給され

翌年の18年、女子挺身隊が結成される

子供の頃

防毒マスクを被ったかあちゃんの写真を

見た記憶があるが

あの写真は本家にまだあるのかな?

 

粉挽き

かあちゃんは時折

リヤカーに小麦を積んで

大作か五反田に粉挽きに行く

 

一度だけ五反田のパン屋さんで

小麦粉とパンを交換したのを覚えている

 

あんぱん、食パン、コッペパン

クリームパン、ジャムパンなど

田舎の子供達にとっては何よりのご馳走だった

 

あんちゃんも自分もパンが目当てで

かあちゃんのリヤカーを押すのを手伝った

 

ある日かあちゃんの粉挽きについて行く

原店までの坂道を

あんちゃんと二人で喜び勇んでリヤカーを押す

 

急な坂道を登り松林を通り抜ける

原店近くの頂上に着くとかあちゃん

「薫は家で待ってろ!」

と言ってなぜか連れて行ってくれない

何だか分からないまま火がついたように泣き叫ぶ

 

パンも喰いたいが

自分にとっては少しでも

かあちゃんと離れたくない

 

泣き叫んで離れようとしない自分に

かあちゃんは業を煮やし

犬ころでも追い払うように石を投げつける

当然当たらないように、だが

 

諦めて泣きながら帰ったのだが

帰り道のことは何も覚えていない

祭り

毎年9月15日

暑い夏が過ぎ、柿の実が少しだけ色づく頃

長沢の中心地にある小高い山の中

諏訪神社で年に一度のお祭りが行われる

遥か彼方にまで聞こえてくる

大太鼓の音や賑やかなお囃子の音が

地元の村人たちを浮かれさせる

 

夕方になるとあちこちから

家族,親戚の人達が連れ立って

神社の道を喜々として歩いていく

表参道から境内に向かう人は皆

手に提灯を持ち

薄暗くなった足元を照らす

 

正面からの参道の両側には

屋台の店が延々と続き活気がある

欲しいものがずらりと並べられていた

 

境内には蓆や茣蓙が敷かれ

皆楽しみにしている芝居の始まるのを

今や遅しと待っている

 

喧噪の中カーバイトやかんしゃく玉

おでん、カルメ焼きの匂いが充満する

 

いよいよ幕が開き芝居が始まると

シーンと静まり返り

身を乗り出して芝居に没頭する

 

当時の芝居は股旅物が多く

「一本刀土俵入り」とか「瞼の母

「関の弥太っぺ」など

特に瞼の母は人気があり

皆大喜びする

 

役者が演じている劇に目を見張り

顔中の筋肉を使って笑ったり泣いたりしている

 

幕間には東海林太郎の歌が蓄音機で流れてくる

 

♪野崎参りは、屋形船で参ろう、どこを向いても

菜の花盛り、粋な日傘に蝶々が止まる

呼んでみようか土手の人

 

舞台の上手、下手には

寄贈品や寄付金が半紙に名前や金額が書かれ

沢山貼られている

 

そんな光景の中

人混みをかき分けるようにして

若い頃のかあちゃん

こんにゃくの味噌田楽を買って来てくれる

おばあちゃん、ねえちゃん、あんちゃん、自分の5人で

串刺しの美味い田楽を喰った

 

2歳か3歳の思い出

あれから約58年

自分の娘のような若いかあちゃんの姿

夢でも幻でもなく

今でも記憶に残っている

あの時の瞬間映像は生涯忘れることはないだろう

 

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かあちゃん 4.

 


鍋転がしに行く途中の日吉の里が見える場所に

畑を借りた時期がある

夏の終わり、若かったおふくろが鍬をふるい

畑を耕していた時ににわか雨が降りだす

おまけに物凄い雷が鳴る

 

青白い光がピカピカすると

天地がひっくり返るような雷が鳴る

「うわー」「早くしろー」

おふくろと畑の上方にある崖の下に逃げ込む

暫く震えながら待つ間

雷の怖さを話してくれる

 

同じように畑を耕していた時

雷が鳴っても時間を惜しみ

作業を続けていた人の鍬に雷が落ちて

その人は鍬を振り上げた瞬間の姿で

立ったまま即死したという

 

鍋転がしの畑に親父とおふくろと三人で畑を耕して

昼には野良弁当を食べた嬉しい思い出がある

自分は草をかき込む手伝いをしたが

どの程度役に立ったのか

寧ろ邪魔だったのかな

 

喉が渇くと付近の山で湧水を飲む

冷たくて旨い

それにしても姉や兄は何をしていたのかな?

 

おふくろが

薫は乳飲み子の頃から畑に連れて行き

籠か笊に入れて寝かせていたという

こうじさらく1の人々は

幼い私が畑のそばで

「よくかがみっちょ2で遊んでいた」といっていたf:id:bikokou-193:20200805152238j:plain

 

1 「こうじさん」という人の開拓した畑のことを

   こう言い伝えられている

2 とかげのこと

かあちゃん 3.

おふくろが若く30歳の頃

天理教を信じていた時期がある

 

風邪や腹痛などで具合が悪くなると

デエ(家長の部屋)の床の間の前で

痛いところや具合の悪いところをさすりながら

≪おたすけたまえ、おはらいたまえ…≫と唱える

 

効き目があるのかないのかわからないが

子を思う母親の真剣さに病魔も逃げ出すようだ

おふくろは一心不乱に続ける

不思議と良くなったような気がする

 

ある日おふくろに手を引かれ小田急線で

教祖と思われる家を訪ねる

たしか世田谷辺りだと思う

家屋と庭と室内だけ朧気に覚えていたが

どこの場所なのかまったく記憶にない

 

覚えているのは多摩川を渡るとき

電車の窓から見た川が

恐ろしくて泣きながらかあちゃんにしがみついたのと

周りの人が笑っていたことだけだ

 

≪溺れる者は藁をもつかむ≫というが

当時は生活苦で縋るような時期があったのかもな

 

 

かあちゃん2.

昭和初期の頃

大工兼農業の親父と結婚する

嫁ぐ頃は親父の両親兄弟の大家族なので大変だったと思う

 

昭和10年姉が誕生

兄が13年、自分が15年、妹が17年と

2年に一度子供を産むが

保子の下に生まれた妹の洋子が幼女の頃

肺炎をこじらせて亡くしている

 

おふくろは随分辛く悲しい思いをしたと思う

後年洋子は、一番下の器量よしだったと偲んでいた

 

やがて弟が生まれ 2年後に妹が生まれる

最後の子供なので末子と名付ける

 

末子の誕生する瞬間は今でもはっきり覚えている

保子と縁側で乾燥芋を喰っている時産声を聞いている

 

お産婆さんは頼まず、苦しんでいるおふくろを

おばあちゃんが励ましながら取り上げる

 

柱に腰ひもを結わえ付ける

その紐をおふくろは

両手で縋り付くようにしていたのを見ている

おばあちゃんが

「あっちへ行ってろ!」と言う

 

おふくろがよく「洋子が生きていたら今何歳だ」

と死んだ子の歳を数えていたのを思い出す

かあちゃん 1.

東京都府中市の旧家に

大正3年

女の子ばかりの末娘として誕生する

代々続いた大きな農家で

父親は婿養子

また祖父も婿養子なのである

 

子どもの頃のおふくろは

水泳やかけっこが得意な

活発で俊敏な女の子だったと本人から聞いている

すぐ上の姉と仲が良く

娘時代の話をしては懐かしそうにしていたのを思い出す

 

当時の農家の娘は皆

当たり前のように奉公に出される

所謂、花嫁修業としてらしい

大工の職人として働いていた親父と知り合ったのも

この頃だったと想像する

 

知り合って間もなくの頃

おふくろは親父に

「あなたの一番好きなものはなんですか?」

と訊くと

「煙草だ」

と答えたらしい

「私が好きなら一番好きな煙草を止められる」

そう言って煙草を止めさせたと子供たちは聞いているが

どうやら親父は隠れて吸っていたらしい

 

おふくろは新宿の三越や二幸をよく知っていたので

新宿あたりに奉公に行っていたのかな